鹿児島県医療法人協会会報 56号
3/24

3巻頭言/医療事故調査制度について特別寄稿1私が鹿児島県医療法人協会小田原良治会長に初めてお会いしたのは、平成25年4月7日、東京青年医会の早朝勉強会でした。小田原会長は覚えておられないかもしれません。その際に、医療事故調査制度創設に向けての歴史的な背景と、現在の医療事故調査制度のひな型とも言える日本医療法人協会(以下、医法協)案を説明され、大きな驚きと共感をもって拝聴しました。この小田原会長が中心となって作成した医療事故調査制度創設案は、平成24年10月19日に、医法協理事会・支部長会において了承され、その骨子や哲学は日本医療法人協会ニュース平成24年11月1日号において、小田原会長と井上清成弁護士が中心となって語られていました。平成25年1月には「四病協合意」、翌2月には「日病協合意」まで取りまとめられ、現在の医療事故調査制度そのものと言っても良いものであったと思います。Ⅰ.日本医療法人協会役員就任と医療事故調査制度への関わり私は小田原会長の話を初めて聞いた平成25年の6月に、医法協常務理事・東京都支部長と東京都医師会理事を拝命しました。その後、様々な会議において小田原会長からの話を聞き、その情熱と正義感に感銘を受けて、微力ながらも協力できればと思い立ったのです。そして、平成26年6月に「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」、いわゆる医療介護総合確保推進法が公布されたなかで医療法が改正され(改正医療法)、医療事故調査制度が創設されました。その内容を一言でいえば、「紛争解決・責任追及」から「医療安全・再発防止」へのパラダイムシフトであり、医療安全を目的とした院内調査を主体とするものとして法制化されました。これは画期的な事であったと思います。この間、私は医法協においては医療安全調査部会に参画し、「医療事故調査制度の施行に係る検討会」に小田原会長の代理として出席したこともありましたし、医法協「医療事故調運用ガイドライン」作成委員会や鹿児島県医療法人協会創立55周年記念事業「院内医療事故調査マニュアル」作成にも参画させていただきました。当時の小田原会長を中心とした一連の動きは、日本における事故調の新しい夜明けの原動力であったと思います。Ⅱ.医療事故調査制度施行後にも蔓延る誤解と法律無視の姿勢東京都医師会においても医療安全の副担当として、医法協案の実現に微力ではありましたが努力しました。東京都は広尾病院事件が最高裁まで争われた余波が色濃く残り、東京都では監察医務院制度が他県より充実しているため日本法医学会の影響が大きく、医療法改正前の流れともいえる「紛争解決・責任追及」型の考えが根強く残り、医療法改正の正しい理解がなかなか得られないことを肌で感じていました。改正医療法成立に続き省令(医療法施行規則)、平成27年5月には医政局長通知が出され、同年10月より長年にわたる議論と多くの困難を乗り越えて、医療事故調査制度が施行されました。この制度が正しく広がり機能することを期待して迎えた時ではありましたが、その翌月には私の想像を超える事件が起こりました。小田原先生との初めての出会いとなった東京青年医会11月20日開催の早朝勉強会での出来事です。講師はある団体の顧問である弁護士であり、題名は「医療事故調査制度の解説~分かりやすい「三大目的論」~」でした。その中で、医療事故は医療が関係したと推測あるいは否定できない死亡や、患者の死亡が予測できなかったか死日本医療法人協会常務理事、東京都支部長社会医療法人慈生会等潤病院理事長 伊藤 雅史医療事故調査制度について

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る