鹿児島県医療法人協会会報 56号
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4因がはっきりしないのは全て報告すること、院内事故調査委員会には必ず外部の第三者委員を入れる事、報告書は保険会社や裁判の参考資料ともなること、などを滔々と説明し始めました。三大目的は、①再発防止の目的、②遺族への説明目的(紛争解決の目的)、③刑事介入防止の目的、というものですが、長年の議論で問題となってきた「紛争解決・責任追及」と「医療安全・再発防止」の矛盾する考えを、一つの制度の中で実施するという、今回の医療法改正で完全に否定された主張そのものであったのです。通常は講演後の質疑応答まで待つべきところですが、講演の途中で思わず、法律や省令、通知と異なる誤った解説は看過しがたいと意見申し上げたところ、「そりゃそうなんだけど・・・」と絶句してしまったのです。法に則り解説すべきところ、持論や信念を優先する姿勢に、法律家にもそのような方がいるのかと、当時は驚愕したものです。厚労省「第3次試案」や「大綱案」の亡霊かという底知れない不気味な印象でした。このようなことがその後も度重なったため、その理由を私なりに考察したものを『日本医療法人協会ニュース』平成27年10月号「医法協アカデミー」に掲載してもらいました。前半は医師法21条に関すること、後半は法律や制度の本来の目的を捻じ曲げて、自分の主義主張を変えないことへの言及です。原文を以下に記載します。Ⅲ.二つの人生論から見た医療事故調査制度改正医療法による医療事故調査制度の創設には、日本医療法人協会の果たした役割が極めて大であったことは、衆目の一致するところである。特に、小田原良治常務理事は、その最大の功績者であり、医法協ニュースにおいて継続的に正しい情報を明快に解説してこられたことに、深甚なる敬意を表するものである。私は医法協ガイドライン作成委員会に副委員長として途中から参画したが、医療事故調を巡っては、若い頃に読んだ二つの人生論が常に頭を離れない。本稿では、それらを引用しながら、若干の考察を試みたい。・三木清「人生論ノート」より「死は観念である。・・これに対して生は何であるか。生とは想像である、・・死は一般的なものである。対して、生は特殊的なものである。・・死そのものにはタイプがない。死のタイプを考えるのはなほ生から考へるからである。」死が一般的あるいは具体的なものであるとするのは「無」であるからであり、その意味で死そのものにはタイプがない。死は一般化などできないという声があるのは、実は生の立場から死を考えるからである。診療関連死、医療過誤死、外因死、安楽死、尊厳死、幸福な死、無念の死、非業の死、大往生、等々、一見、様々な死があるやに語られるが、それは想像であり特殊である「生」からの発想であると、明快である。いずれにしても、観念も想像も当然のことながら法的判断には馴染まない。観念の対義語は実在或いは実体、想像のそれは実際に相当する。それから敷衍すると、「死」のもう一つの対義語は「死体」と言える。観念は実体がなくとも主観的に創られるが、実体は人の意識を超えて客観的に存在する。故に、死体は客観的・科学的かつ法的判断の対象となり得るのである。医師法21条は「医師は、死体又は妊娠4カ月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」であり、正に異状たる死体が対象であり、異状たる死ではないことは明らかである。その意味では、日本法医学会「異状死ガイドライン」も字句を素直に読めば「異状死体」に言及したものではない。然るに、異状死と異状死体は同義であると言う誤謬と、それを積極的に採用し続けた厚生労働省の意図は何であったのか。診療関連死、医療過誤死自体は、その事由のみでは元々、届出対象ではなかったが、届出の要件は外表異状の有無に依ることが、2004年の広尾病院事件最高裁判決で確定した。しかし、10年以上経過して初めて、厚労大臣国会答弁と平成27年度死亡診断書記入マニュアルから日本法医学会異状死ガイドラインの記載が削除され、医師法21条問題解決を厚労省が追認した。この遅延・不作為が医療界に与えた影響は甚大である。・トルストイ「人生論」(米川和夫訳)より「いまここに、水車を生活のたったひとつのたつきとするひとりの男がいるとしよう。この男は、祖父の代からの粉ひきで、・・機械の知識はいっこうないのだけれども、いい粉を割りよくひくために、水車の部分部分の調整をするのは手慣れたもの・・たまたまふっと水車の構造を考えてみようという気をおこして・・受け口からひき臼へ、ひき臼から心

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