鹿児島県医療法人協会会報 56号
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5医療事故調査制度について棒に、心棒から車に、車からせきに、堤に、水糸観察をすすめていくうちに、とうとう、すべての原因は堤と川にあると、さとったのである。・・川の研究をはじめ・・かれの水車はまったく調子がくるってしまった。・・そんなことはよしたほうがいいと・・忠告した人たちといい争ったあげく、・・川が水車だと信じこんでしまった・・論理のうえで、粉ひきの考えに反対するのはむずかしい。・・こうした迷いをさましてやるには、・・だいじなのは、考えることそのことではなくて、考える順序だということ・・合理的な活動と非合理的な活動とが区別されるのは・・考える目的がこの順序を定めるのであって・・目的をわすれた考えは、たとえ、どんなに論理にかなっていようとも、どこか分別に欠けたところがあるものだ。」粉屋は上質な麦粉を作ることを目的として、水車の研究を始めた。研究は水車から堤、川へと広がり、結果として麦粉の質は落ちた。しかし、手段である研究が目的となったがために、本来の目的が忘れ去られた誤謬を受入れられない。他者から指摘されればされるほど、その傾向は更に増大し研究こそ人生と曲解した。手段・方法は目的を達成するためにあるが、往々にして手段・方法が目的化してしまい、本来の目的を毀損することは日常的に起こり得る。これを「唯心論的物神化」と呼ぶが、その修正は極めて困難である。医療事故調査制度の議論は10年以上もの長きに及ぶが、多くの試案が俎上にのぼっては消えて行ったことは周知の事実である。この最大の原因は、「医療安全の向上・再発防止」を目的としたWHOドラフトガイドライン推奨の「学習モデル」と、「責任追及」という当該医療者の処分・非難を目的とした「懲罰モデル」を、1つの制度で実現しようとしたところにあった。今回の医療事故調査制度では、「医療安全の向上・再発防止を目的とした学習モデルに特化」するというパラダイムシフトが起こった。これは諸外国では既に常識の事であり、わが国では長期間の議論を要したが、大いなる前進と評価できる。一部の関係者が未だ推奨する「大綱案」で懸念された、「学習モデル」を願う純粋な医療人の良心が「懲罰モデル」の紛争の場で蹂躙される危険性と、第三者機関への届出と医療専門家による調査によって警察・検察からの追及や法的責任を免れることができると言う医療者の幻想に、完全に終止符が打たれたと言える。しかし、懲罰モデルという目的は削除されたが、それに基づく医療事故調査の方法論は残念ながら完全には消えておらず、21条問題と同様の混乱を来す可能性が危惧される。共に、方法・手段が目的化した唯心論的物神化に帰結するからである。日本医療法人協会の存在意義は創設から運用に移るが、これからが正に正念場であると言えよう。Ⅳ.制度の誤運用がもたらす悲劇現在の医療事故調査制度が始まって約10年を経過しました。全体的には落ち着いた運用ができているものと思いますが、「紛争解決・責任追及」を信条として自らの立場の絶対性を変えないことの問題が続いていることも確かです。最近では、愛知県愛西市で新型コロナワクチン集団接種後に死亡した方に対し、医療事故調査委員会を組織しその調査結果を記者会見して公表し、報告書の全文を公開した事例があげられます。これを受けて遺族は市に損害賠償を提訴すると共に、関係者を刑事告訴すると報じられています。そもそも医学的評価の判断を含めた医療事故報告書の公開は、医療事故調査制度に求められる非懲罰性、秘匿性、独立性を逸脱していること、匿名以上に厳格な「非識別性(他の情報と照合しても個人が識別されない)」が守られていないこと、結果として責任追及の根拠とされてしまったことなど、医療事故調査制度の想定外の事態になってしまいました。誠に残念な事態です。Ⅵ.終わりに今後もこのような悲劇を生まないように、正しい医療事故調査制度の理解を改めて周知すること、また、法律に則り「医療安全・再発防止」という根本的な目的を達成するための適切な運用の啓発活動は必須と言えます。医療事故調査・支援センターは、本来、その目的を担うべく創設されたものですが、期待された役割を果たしていないのは大きな問題です。従って、小田原会長を中心とした活動を今後も継続して、正しい制度運用を広める必要があると痛感しています。

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