鹿児島県医療法人協会会報 56号
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6【自己紹介】【全国医師連盟への参加:私と医療事故調査制度の関わり】私は一介の臨床医にすぎません。不適切な表現で恐縮ですが、自称『診療バカ』『場末の胃腸屋』です。人口10万人当たりの医師数が「151人」という医療過疎地で働いています。出水医療圏と近い数字の医療圏です。大病院に勤めているわけではありません。2023年の上部消化管内視鏡検査8,546件、大腸内視鏡検査1,299件、内視鏡処置・治療675件を5人の消化器内科医でこなしています。医師になり立ての頃、私は単に技量を上げたい一心でした。一朝一夕で実力はつかず、急性虫垂炎の確定診断の「お墨付き」をもらえるまでに1年。急性虫垂炎の手術適応の「お墨付き」をもらえるまでにさらに1年。不器用な私の成長曲線は、同僚たちから大きく離れていました。しかし、指導してくださった先生方からのアドバイスに、何度も助けられました。「何か1つのことを成就するには、1万時間かかる。3年かかる。1年や2年で諦めるな。」「誰でも失敗はする。ただ、繰り返すな!」「学会に行ったら、『合併症・偶発症』のセッションやブースには必ず行け。」「真似したくてもできないトラブル・シューティングを、聞いて、質問して、頭に叩き込んでこい!」「手術の上手い外科医が名医ではない。トラブル・シューティングをたくさん身につけている医師が、名医だ。」その頃の学会での見聞は、本当に勉強になりました。いつの頃からか、学会で「合併症・偶発症」のセッションが激減しました。あるいは、消えました。「訴訟絡みになるから、応募演題数自体が減った。」「学会自体が、訴訟に巻き込まれることに尻込みしたからだ。」このような話がまことしやかに聞かれました。確かに、日本法医学会から1994年に発表された『異状死ガイドライン』を契機に、「合併症・偶発症」の学会発表数、発表機会が減りました。過酷な診療・労働環境、メディアによる誤った医療情報の発信、正当な診療ですら提訴されうる瑕疵だらけの法整備、といった理不尽な辛酸を舐めさせられていた最前線の実臨床医が集い、医療崩壊からの再生を目指し、2008年6月9日に全国医師連盟(以下、全医連)を設立しました。その根底に流れる願いは非常に純で、「真っ当な診療に専念したい」です。私は前の前の職場で時間外給与を全てカットされたことを機に、全医連に参加しました。その頃は医療事故調査制度(以下、医療事故調)の「第三次試案」「大綱案」が示された時期で、この制度への問題提起も全医連が発足した契機でした。そのため、全医連会員は医療事故調について理解が深く、様々な医療訴訟の理不尽さを私も知りました。勤務医が医療事故に巻き込まれると、味方はおらず、周りは全て敵となることを知らされました(図1)。特別寄稿2一般社団法人全国医師連盟理事 中島 恒夫 ISO 5665で医療事故調査制度を深化させる~医療事故調査委員の資質に依存しない 事故調査の標準化を目指して~

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