鹿児島県医療法人協会会報 57号
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弁護士 染川 周郎14医療法人協会報 vol. 57号法医学という学問分野があることはご承知のことと思います。具体例で申しますと、殺人事件で被告人は、真犯人は自分ではないと無罪を主張している。証拠として採用された凶器に被告人の指紋と血液が付着しているという事案で、その血液が被害者のものであるかどうかについて科学的な判断が必要な場合、裁判所は法医学者に鑑定を依頼し、その鑑定結果に基づいて判決を下すのが通例です。そこで思い出されますのは、この分野で昭和20年代から昭和60年代にかけて、ABO式血液型の研究者で法医学の神様とまで言われ、その鑑定意見は、地裁から最高裁まで殆ど絶対的とまで言っていい権威を誇った古畑種基東大教授、文化勲章受章者の存在です。ところが、その後のDNA鑑定等の進歩とともに古畑教授が行った鑑定は、次々と間違いであったことが次世代の法医学者によって証明され、死刑等の有罪判決が確定した者が起こした再審事件で昭和50年~昭和60年にかけて再審無罪事件が続くという異常事態に至ったという経過があります。四大死刑冤罪事件といわれる免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件のうち、免田事件以外の3事件は、古畑鑑定を盲目的に信用・採用した裁判所の誤判による死刑判決の確定という「恐ろしい科学」によって多数の犠牲者を生んだもので、我が国における刑事裁判の歴史における大汚点と言わなければならないものです。 財田川事件財田川事件の概要は、被害者男性が全身30カ所を刃物でめった刺しにされて殺害され、現金を奪われたというものです。被告人は、アリバイ成立と自白は拷問によるものであるとして無罪を主張し、これに対し検察側は、被告人が犯行時に着用していたとするズボンに微量ではあるが、古畑鑑定によると被害者と同じO型の血痕であると断定できる物的証拠があり有罪であると主張しました。一旦は最高裁まで死刑判決を出しましたが、再審で古畑鑑定は信用できない、当該ズボンを事件当日着用していた証拠もない等他の証拠も総合して被告人は無罪となりました。1950年の逮捕から34年後のことでした。 松山事件松山事件の概要は、家屋の全焼と就寝中の家族4人の死亡事故が発生し、遺体解剖の結果、長男以外の頭部に刀傷らしきものが認められるとして、放火殺人事件として、立件されたものです。1955年に逮捕された被告人の自宅から押収された掛け布団の襟当に付着していた血痕は被害者のものと同じだという古畑鑑定が決め手になって一旦は死刑判決が確定しましたが、再審において同鑑定の証拠としての価値は乏しく、自白も強制されたもので、前後矛盾した内容で信用できないとして、1984年に無罪判決を受けたものです。島田事件の概要は、1954年に発生した幼女誘拐殺人、死体遺棄事件で、一旦は死刑判決が確定しましたが、1989年に再審で無罪になった冤罪事件です。この事件における古畑鑑定は血液型に関するものではなく、被害幼児の外傷に関するものですが、遺体解剖を行った医師は外傷には生活反応がないとの鑑定を出しましたが、これが被告人の自白と矛盾するということで、裁判所が古畑教授に鑑定を依頼し、自白とおりの経過で外傷が生じたという鑑定を得て死刑判決を下したものでした。古畑鑑定の犠牲者は他にも弘前大教授夫人殺人事件の被告人(被告人の着衣に付着した血液が被害者のものと完全に一致すると鑑定した)等あります。以上のような誤った裁判の歴史は、医学鑑定は、裁判における事実の認定に科学的根拠を付与するものではありますが、絶対的なものではない。裁判においては、法律家が鑑定の内容のみならず鑑定結果に至る判断過程の検証、吟味を十分にしないと本来中立公正なものである筈の科学(法医学)が冤罪を生んでしまうということを思い知らされるものです。 島田事件法律のお話 法医学と裁判

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